写経4

さぁ、今日も写経します

「7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー著」

の「第一の偉大さ、第二の偉大さ」

 

 わが子で経験したこと、ものの見方に関する研究、成功に関する文献の調査、これらが私の頭の中でつながり、人生でめったにない「アハ体験」の瞬間が訪れた。個性主義の強烈なインパクトを一瞬にして理解し、私が真実だと確信していることーはるか昔の子どもの頃に教えられたことや自分自身の価値観の奥深くにあるものーと、日々私を取り巻く応急処置的な考え方との違いがはっきり見えたのである。長年にわたり生活のあらゆる場面で多くの人々と接してきたが、私が教えてきたこと、効果的だと信じていたことが、昨今流行の個性主義の考え方とほとんど相容れない理由がよくわかったのだ。

 私はなにも、個性を伸ばすこと、コミュニケーションスキルのトレーニング、他者に影響を及ぼす戦略、ポジティブ・シンキングといった個性主義のさまざまな要素が不要だと言いたいわけではない。それどころか不可欠な場合もある。

 私が言いたいことは、たしかに成功にはこれらの要素も必要だが、あくまで第一の要素ではない二次的な要素どということだ。人間は前の世代が築いた土台にさらに積み上げていく能力を与えられているというのに、その能力を使わず、自分の成功を築くことだけに目を向け、成功を支える土台のことを忘れてしまってはいないだろうか。種も蒔かずに刈り入れることだけを考えてきたせいで、種を蒔く必要すら忘れてしまってはいないだろうか。

 二面性や不誠実など人格に根本的な欠陥がありながら、人に影響を及ぼす戦術やテクニックを使って自分の思いどおりに人を動かしたり、もっと仕事の成績を上げさせたり、士気を高めたり、自分を好きにさせたりしようとして一時的にはうまくいったとしても、長続きするわけがない。二面性はいずれ相手の不信感を招き、どれほど効果的な人間関係を築くテクニックを使ったところで、相手を操ろうとしているしか見えないだろう。どんなに巧みな言葉を使っても、たとえ善意からだとしても、効果は望めない。信頼という土台がなければ、成功は長続きしないのだ。基礎となる人格の良さがあって初めて、テクニックも生きてくる。

 テクニックだけを考えるのは、一夜漬けの勉強と似ている。一夜漬けで試験をうまく乗り切れることもあるだろうし、良い成績だってとれるかもしれない。だが、日々の積み重ねを怠っていたら、教科をしっかりと習得することはできないし、教養ある人間にはなれない。

 農場に一夜漬けは通用しない。春に種蒔きを忘れ、夏は遊びたいだけ遊び、秋になってから収穫のために一夜漬けで頑張る。そんなことはありえない。農場は自然のシステムで動いている。必要な務めを果たし、定まった手順を踏まねばならない。種を蒔いたものしか刈り取れない。そこに近道はないのだ。

 この原則は人の行動や人間関係にも当てはまる。人の行動も人間関係も、農場の法則が支配する自然のシステムなのである。学校のように人工的な社会システムの中では、人間が定めた「ゲームのルール」を学べば、一時的にはうまくいくかもしれない。一回限りの、あるいは短い期間だけの付き合いなら、個性主義のテクニックをうまく使い、相手の趣味に興味があるふりをし、魅力をふりまいて良い印象を与えられるかもしれない。短期間だけ効き目のある手軽なテクニックなら、すぐにも身につけられるだろう。しかしそうした二次的要素だけでは、長続きする関係は築けない。真の誠実さや根本的な人格の強さがなければ、厳しい状況に直面したときに本当の動機が露わになり、関係が破綻し、結局のところ成功は短命に終わるのである。

 第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても、第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多いものである。人格こそが第一の偉大さであり、社会的評価はその次にくる第二の偉大さである。同僚や配偶者、友人、反抗期の子どもとの関係など、その場限りでは終わらない人間関係において第一の偉大さを欠いていれば、いずれ関係にヒビが入るのは避けられない。「耳元で大声で言われたら、何が言いたいのかわからない」とエマーソン(訳注:米国の思想家)も言っているように、無言の人格こそ雄弁なのである。

 もちろん、人格は素晴らしいのに口下手で、思うように人間関係が築けない人もいる。しかしそうしたコミュニケーションスキル不足が及ぼす影響もまた、しょせん二次的なものにすぎない。

 突き詰めれば、あるがままの自分、人格が、どんな言葉よりもはるかに雄弁なのである。誰にでも、人格をよく知っているからという理由で100%信頼している人がいるだろう。雄弁であろうがなかろうが、人間関係のテクニックを知っていようがいまいが、信頼して一緒に仕事ができる人がいるはずだ。

 ウィリアム・ジョージ・ジョーダン(訳注:米国のエッセイスト)は次のように述べている。「すべての人の手に、善または悪をなす巨大な力が委ねられている。その力とは、その人の人生が周りに与える無言の、無意識の、見えざる影響である。見せかけではない真のあなた自身の影響が、常に周囲に放たれているのだ」